新馬場でつながろう会
松川屋を核とした新馬場通りに綴られた物語を次の世代に伝えるとともに、
ここに集う人たちと、新しい物語を綴っていきます。
松川屋を核とした新馬場通りに綴られた物語を次の世代に伝えるとともに、
ここに集う人たちと、新しい物語を綴っていきます。
●新馬場通りとは…
新馬場通りは、鍋島藩祖・鍋島直茂を祀った松原神社の参道で、門前町として栄えた商業通りでした。春と秋の祭りは「日峯さん」とよばれ、佐賀市最大規模の祭祀でした。当時を知る人は、歩くこともままならない大勢の人出があり、当時の最大の楽しみにしていた娯楽でもありました。その門前町である新馬場通りは、佐賀市最大の娯楽の集積地であり、映画館、芝居小屋、料亭も集積、多くのひとでにぎわっていました。また、明治中期から昭和初期までは米穀取引所を核に旅館、料亭、銀行が集まる街でもあり、佐賀市の経済の中心として県外の商人などが情報を持ち寄り交換する場でもありました。
しかし、高度成長後の娯楽の多様化と消費行動の変化により、新馬場通りの店舗形態の変化や移転、廃業により通りは寂れていき、往年の繁栄を創造することも難しい状況になりました。
佐賀ん町屋を甦らす会は、平成18年から20年度にかけて、佐賀県、佐賀市のまちづくり支援事業の助成を受け「松原神社門前町新馬場通りにおける賑わいづくり活動」を実施してきました。「松原神社門前町賑わいづくり構想」が平成19年に作られ、それに基づき、賑わいづくり基本計画が作成され、実施されました。 質店「新古賀」などが通りの灯を消さないように事業を続け、井徳屋を「佐賀ん町屋ば甦らす会」の事務局として活動を行っています。
写経会を 毎月第2金曜 定例開催しています!
【松川屋で写経会】毎月第2土曜
松川屋は、世界遺産三重津海軍所より5年早い、江戸末期の1853(嘉永6)年に旅館として、鍋島藩祖を祀る松原神社の参道に創業しました。
門前町として栄えた新馬場界隈のにぎわいとともに繁栄した旅館で、明治32年7月3日には、文豪・森鴎外が投宿し「小倉日記」に当時の佐賀のようすを記しています。
また、昭和32年には、松本清張原作の映画「張り込み」のロケ隊が、約1か月間宿泊したことでも知られています。
古くなった建物を一部改装し、現在のような店構えになったのは、昭和37年のことで、昭和44年には郷土料理店「まつ川」をオープンし「松川鍋」が名物となりました。
しかし、昭和50年代以降、中心市街地の衰退とともに陰りをみせ、2011年(平成23年)には休業し現在に至ります。